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旅の一歩(出張の準備)

出張に行く際の準備は万全ですか?準備の備忘録や旅行の記録を伝えていきます
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07年2月20日コンフオートホテル横浜関内

コンホォートホテル横浜関内に宿を取った
チェックインし、部屋にあったパンフレットでわかったが本ホテルグループは世界40ヶ所以上で5000件以上のホテルを保有し、日本は34件のホテルがある大きなホテルチェーンであることがわかった。
部屋のタイプがダブルと言うので部屋の広さに多少期待したが、それ程広くなかった。
まあそれでもセミダブルより良いと思って割り切る。
入室時間帯は、たまたま隣の部屋に誰も居なかったせいなのか静かだったが、夜遅く隣の部屋に人が入ったら様相が違った。
当人が廊下を通り、部屋に入るまでの間、及び部屋に入った後もそんなに変わらない程うるさかった。
それから考えると防音性はあまり良くない感じであることがわかった。
また、シャートイレは良いが、便座に暖房装置が付いておらず且つ、陶器の便座で室温より冷たくて参った。

さて、ホテルに到着したのは21時を過ぎていたのでお腹も空いてきた。チェックイン後せっかくなので中華料理を食べに出ることにした
昨日より旧正月となった為中華街はお祭り騒ぎとなっておりその場所が近いので行きたいと思うが、時間も遅かったのでホテル周辺を散策し遅い夕ご飯を食べることにした。

通りを過ぎると馬車道に出た。程なく中華料理の看板を発見。数種類食べてみたいが一人では食べきれないので五目ラーメンを注文。カタコトの日本語で注文を聞いたと思ったら中国語でオーダしていた。

程なくラーメンがテーブルに運ばれて来た。外観をパッと見ると変わらない感じであるが、スープがいつも食べている塩味の様な透明感感が無い。薄く茶色のスープである。具材は定番の海老や白菜の他レバーが入っていた。それも以外に大きめに切ってあり食べ応えかありそうだ。早速スープを飲んでみる。これがまた黒酢が効いていておいしい。日本人好みではなく本場の味を楽しまさせてくれた。

朝食はフリーと言うのでコーヒーとパン程度だと思っていたがうれしい方向に違っていた。
ドリンクは自動でコーヒー豆を挽いてドリップするタイプにオレンジや牛乳、お茶等がある。
目を引いたのはおにぎりだ。5、6種類 ぱん サラダ ヨーグルト デザートがあった

今回のホテルは関内駅からそれ程遠くなく静かな所にあり中華街も近い方なので立地場所は良いと思う

また、便器と防音性をもう少し良くしてくれれば良いと思った。
備忘録より。







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06年4月25日インドネシアの空港

4月25日やっとインドネシアのスカルノハット国際空港に到着した。
何度か来ている空港ではあるが、今までとは違うのが一点ある。それは、入国するのにVISAが必要になったということだ。
場所はどこか? 入国審査前と言うので回りをきょろきょろしながら歩いて行くと、人の並んでいる所を見つけた。 JALで行ったので日本人が多く、すぐに見つかった。
さて、VISA発行はどうするのかと、並んでいる皆さんの行動、看板の表示から、勉強開始。
最初に滞在期間を言って、お金を支払う。そうすると、領収書か発行される。その領収書とパスポートを隣のカウンターに渡す。そうすると、VISA発券シールをパスポートに張りつける。 「おいおい10年パスポートなんだから1ページの全面に貼り付けられるのは残りのページが無くなってしまうのでやめてほしい」と思っている間に貼られてしまった。毎回貼られたらすぐに交換出来るよう5年バスポートの方がよさそうだ」なんて思いながら残り少なくなっていくページを思わず見てしまう。
ろくに下調べもせずにとりあえす10日以内であれば10USドルあれば何とかなると言われたので、成田でドル交換したお金を持って行った。
思い返してみれば、以前に中国へ行った際には、今回の様に貼られたが短期間はVISAは不要になったのに インドネシアはそれに対して逆行している様に思えてしまうのは私だけだろうか?以前は中国、ベトナムなども事前に国内にて申請し、それを持って行ったもんだがこれはどちらかというと入国料金を支払うという感じがしてしょうがない
次に問題の入国審査だ。 以前、私や他部門の出張者もいちゃもんを付けられ、リベートをを要求してくる事がある。
私の場合は 入国審査カードにBISINESS欄にレ点が付いていて これだと入国出来ないと言うのである。しょうがなく 要求の半額に交渉しやっと入国出来た。(5000円)

4月29日最終日は、ジャカルタ市内の日本食居酒屋ヘ行きシンガポール支店からの出張者と合流しアジア圏の各国の土地柄などについて話をし盛り上がった。
翌日は休みなのでゴルフと言う事らしい。
それだったら 事前に連絡あれば回れたのにという話でまた酒のボトルが空いた
その後私は空港へ。
飛行機フライト時間は現地時間0025(日本時間0225)と深夜である。待合室は疲れ切った人たちがこうべをたれてウナダレている。まあその中でも 新婚旅行からの帰りと思われるカップルはベッタリとしていて周りの疲れた人たちの中でもまだ元気だった。

やっと機内の指定座席に座るといつも楽しみにしている好きな映画も疲れには勝てず見ずに爆睡モードに入る。
もうあれから 一年が過ぎようとしている。早いものだと改めて思った。
備忘録より。

岩手県 遠野へ

07年4月6日 本日は岩手県の遠野へ行く事になった。
この商談が上手くまとまれば何度も来る長い付き合いになりそうだ。

遠野と言うと民話と伝説のカッパが有名である。今回、初めて行く所なのでどんなところか期待と不安を持ちながら遠野へ向かった。

盛岡から行くには新幹線で新花巻迄行って釜石線で行く方法と盛岡始発の[快速はまゆり]にて移動する方法がある。
今回は乗り継ぎがの関係から盛岡発の電車で行く事にした。
盛岡から[快速はまゆり1号]に乗り遠野に向かう途中、花巻駅にて面白い事が起きた。
花巻駅に到着し乗客が降り、今度は新しく乗客が乗って来た時の事である。
皆一斉に椅子を好き勝手に回し始たのだ。。何が起きたか、わからないままその様子を見ていた。
一段落した頃には発車のチャイムが鳴り動き出した。
電車がそのまま行くと思ったら駅に到着した方向に動き出した。
一瞬何が起きたと思ったが乗っている電車には間違いが無いので、まずはそのまま乗っていることにした。
この電車は花巻駅でスイッチバックして釜石線に線路を変えだのである。
そして、電車は山あいを走り遠野へ向かったのであった。

ホテルメッツ武蔵境へ宿泊

今回は山の手線を外れ 中央線の武蔵境の「ホテルメッツ武蔵境」へ泊まる事にした。
言うまでも無く、JR系列のメッツグループは駅前0分を売りにしているので交通の利便性は抜群である。
今回の会議は早く終わり、出張ではめずらしく、太陽が日が出ている時間帯にホテルまで移動しするかとが出来た。早速チェックインしようと改札を出たがホテルの看板が見つからない。
結局間違って違う出口から出てしまったようだ。正解は南口である
駅から出て看板を探すと左側にホテルは建っていた。
早速フロントにてチェックインすると「本日は広めの部屋にしておきました」と説明があった。
 多少期待して 部屋のドアを開けると、 部屋は少し入り組んだ間取りとなっていた。 一般的なビジネスホテルであればドアを開けると正面には机かベットが見えるものだが今回見えたのは風呂である。そこを左に見るとベットがあった。ベットには枕が2凅並んでおり、それなりの広さからダブルベットと言うのがわかった。 部屋を見回すと最初に目に入ったのは空気清浄器である。
これからの季節 花粉に悩まされる人には空気清浄器は良いかも知れない。 次に目を引いたのは ズホンブレッサーである、
多くはフロントに置いてあり借用するという場合が多いと思うが 部屋に備えてあるというのはうれしい。何しろわざわさ借用すると言うのは面倒で行わないものだからである
お風呂も横になれる広さがあり あまり狭さを感じない。

また風呂の窓ガラスもきちんと曇り防止が付いていた。

朝食は1階にあるEXCELSIOR CAFFEにて食事が出た
記憶が定かではないがホテル専用メニューが3種類程あり、そこから選ぶ形である。
前日は旧友と久しぶりに会ったのでついつい飲み過ぎてしまった。こんな時にはスッキリした飲み物が欲しくてオレンジジュースを頼んだ。
そうしたらここでは オーダ時に直接果汁を絞ってくれるらしく 新鮮なオレンジジュースを作ってくれたのだ
これでスッキリ。当日の仕事も順調にこなす事が出来た。
尚、宿泊した部屋は線路側だったが、電車の音やホームでのアナウンスする放送も聞こえず快適であった。

スーツにドラゴンボールのテイッシュが

 久しぶりの出張となった
ここ数か月は激務が続いており出張はしたくないが、しょうがなく出張する羽目になった おかげさまで体重も減り、本日の資料作成に深夜までかかり いつもの睡眠不足だ  季節は10月と、衣替えなので秋冬スーツに変えることにした。
毎年1cmづつウエストが広がっている状況が、ここの激務で一気に体重が落ちたことから以前購入したスーツが入るのではないかという期待を持ってトライしたら 入ったではないか 早速そのスーツを来て出張した 途中、ティッシュが欲しくなりポケットの中を探していら見つけることができた。

何気なくポケットから取ってみるとドラゴンボールのティッシユであった。
どうりでちょっと小降りな訳だ

その当時、子供が小さかった時のものかここに潜んでいたとは
何とも 懐かしさが読み帰って来た このスーツは いつ買ったかと子供の成長と重ね合わせてみれば16年前であった。こんなにも年月が過ぎていたとは
子供の成長と、年老いていく自分に 何とも言えぬ 感覚だけが残る一瞬であった。

再び湯本へ

5月28日。本日は日曜日だというのに仕事の関係で移動日である。前回大変な思いをして行った福島県の湯本までだ。
何と移動時間だけで 5時間06分もかかる。直線距離と対比した場合、この距離を考えると、大旅行に匹敵する。
東日本を移動するのにこんなにかかる理由は、悲しいかな 乗り継ぎが悪くこんなにもかかってしまうのである。
盛岡を過ぎて窓から見た田園風景は田植えの時期で一面に水が張ってあり とても綺麗である。
出張の度に見るいつもの風景ではあるが 新しい米が作られるこの時期は一面に水が満たされ、その水に空からの光と田植えしたばかりの稲の緑が交錯しまた 違う雰囲気がある。
新幹線の車内は、それほど混んではおらず私同様にビジネスで移動する人や家族連れの人たちが疲れ切った様子で新幹線に乗っている。
仙台駅到着。45分も乗り換え時間があったので駅周辺をうろうろ。       特に目立った物もなく常磐線に乗る。
各駅停車に我慢して乗って お尻が痛い状態のまま 湯本へ到着。
低気圧が来ていた影響で、東京方面からの特急は途中で運航中止したとの事であった。
駅から出たら大雨。傘を差しながらホテルへ移動。
チェックインした時に先に到着したメンバがフロントに集合場所を伝言してありその場所に移動。いつもの宴会となる。

宴会後 ホテルに戻り寝支度して寝ようと思ったが少し寒い。
暖房を付けようとスイッチを入れたが全く動かずあきらめて 浴衣を来て就寝。風邪をひかないことを祈るしかなかった。

蕪島の菜の花は満開

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5月27日。天気が良かったので、八戸市の蕪島に何気なく行った。
蕪島に行くは、入り組んだ道を曲がりながら行くので、近くに行かないと島が見えて来ない。最後の道路を曲がった瞬間島全体が黄色になった蕪島が見えて来た。

ななんだ?

今まで 何度か来たがこんな風景を見たことは無かった。 早速駐車場に車を止めて歩いて近づいて行くと島全体が花で埋め尽くされていた。
 その回りには多くのウミネコが飛んでいた。

ちょうどウミネコの産卵時期と言う事もありすごい量の鳥の数である

近づいて見ると、黄色い花は菜の花であった。こんなに花が咲く島だったとは感動である。
せっかくなので蕪島山頂迄登って見る事にした。山頂は神社になっており、階段一段一段の両脇は卵を抱いたウミネコが所狭しく卵を抱いた。
私たちが登っていく度に 鳴いて威嚇してくる。
やっと 山頂に着いたが 歩道や、その隣の緑の部分は全てウミネコで埋め尽くされていた。
明らかに、人間の数とウミネコ数ではウミネコの方が多い。尚且つ、生まれたばかりの赤ちゃん鳥が母鳥の近くに居る。
ここは ウミネコの世界だ
静かに退散することにした

青森県横浜町の菜の花祭り

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本日は、青森県横浜町の菜の花祭りである。
毎年、天候が良くないが、今年は数日前から天候の良い日が続いており ぐんぐんと温度も上がった。当初の開花時期は5月末と言う予報であったが実際に行ってみると満開ではないかと思ったほど花がきれいに咲いていた。

帰りに道の駅にて昼飯を食べる。          かに汁 300円と安価 これだけでも お腹いっばいになった。

気仙沼から湯本へ

本日は 宮城県気仙沼 経由 福島県湯本である。  気仙沼に行くのは初めてなのでどんな感じなのか楽しみだ。
 さて、気仙沼の場所であるが 地図で見ると岩手県の県境でリアス式の海岸が続く場所である。 イメージが先行してしまうが、地形的に魚が集まっているので絶対に魚が美味しいにちがいない。
 今回の移動ルートは盛岡経由 一関にて、ドラゴンレールに乗って気仙沼に行くルートだ。
 現在の場所は盛岡。
天候は「天気雪」。何と天気は良いが雪が降るという何か変な天候状況の中を移動中である。

出張キャンセル

 今頃、東京のホテルで夜景を見ているはずだったが、急遽 仕事が入り出張をキャンセルした。
 前日に切符、ホテルを予約しようとしたが、あまりにも忙しくて取れずじまい。
 あきらめて今日切符を取ろうとしたが、今週の予定があまりにも詰まりすぎてあきらめることとした。
 したがって、出張無し。

 事前に予約を取っていたら、今頃はもっと大変だったかもしれない。

 出張の準備も 決めてからではキャンセル料を取られないように 余裕を持った判断が必要である。